面白ければいいんじゃない?

やくたいのないこと、痛々しいことばかり書きます。

リベラルアーツとしてのIT教育

大学ではリベラルアーツ、一般教養といった名前でさまざまな分野について基礎的な教育が行われている。それは、哲学、文学、歴史学、法学、社会学、科学… さまざまな分野に渡っていて、大学の専門科目、とまではいかないが、その分野の概観できるような内容だと思うし、実際に私が大学時代に受講したものもそうだった。

さて、私は、大学では文系(社会科学系)を専攻し、今の仕事も事務職である。しかし、私は情報技術を駆使している方だとも思う。evernoteやdropboxといったサービスを活用したり、ガジェットを活用したり、個人用のサーバを管理したり、必要ならコードも書いている*1。もちろん、コンピュータは大好きだ。ただ、私は大学で情報教育のリベラルアーツを選択しなかった。
なぜか? それは一言でいえば、それらの教育が単なるパソコンやアプリケーションソフトウェア*2の使用方法を教えているだけだからだ。シラバスに書いてあることが真実なら、多くの大学で単なるオフィススイートの使い方を教えるだけのことが堂々と講義になっている。

何も私は、情報教育をすべきではない、と言っているのではない。むしろ、教えるべきことは別にあるんじゃないかと考えるのだ。オフィススイートの使い方はいずれ陳腐化するし、MSオフィスはデファクトスタンダードとはいえ、常に使うというものでもない。実際に私は家でオフィススイートを使うことなんて、時々しかない。大学でレポート作成をするためにwordを使うことはあるだろうが、1年間かけて教える必要はあまり感じられない。

むしろ教えるべきことは「どのようにしてコンピュータは動くのか?」とか「どのようにしてネットワークは動くのか?」とか「コンピュータやネットワークは実際社会でどのように活用されているのか?」とか、情報理論や情報社会学の分野に近いことだと私は考える。

仕事でexcelを使って表を作るときに、体裁よく作ることは重要だ。ただ、これは誰の目にもわかることだ。しかし、その情報が見栄えを重視して正規化されていなければエントロピーが増えて後で使うときに使いづらくなってしまう。重要な情報をやりとりする際に暗号化を行う場合、中間者攻撃などを避けてセキュアに情報をやりとりするならば個別のソフトウェアの使い方に習熟するだけではダメだ。何かしら新しいソフトウェアを導入するとき、あるいは今までの仕事にICTを導入するとき、単にソフトウェアの使い方に習熟した人では、何を選んだらいいのか、何を評価すべきかは理解できない。SEに自分のやりたいことを伝えて仕様を作るときに、あなたにプログラムの知識は必要ない。しかし、コンピュータで何ができるのか、あるいはできないのか、できるとしてコストの低い方法は何なのか、そもそも業務分析の結果必要な仕様は何なのか、これらを考える必要はある。シャノンやチューリングを読ませる必要は無いにせよ、概要を教えることは十分に可能なはずだ。

これらの知識はオフィススイートの使い方よりよっぽど寿命は長いし、応用も効く。
リベラルアーツに必要なものは中高年のためのらくらくデジタル塾ではない。むしろIT whiteboxのような内容が必要だ。

  • 必要な知識はexcelの使い方ではない。スプレッドシートではこういったことが出来る(あるいはできない)といった知識だ。
  • 必要な知識はブラウザの使い方ではない。ハイパーテキストマークアップの概念の知識だ。
  • 必要な知識は見栄え良く書類を作るテクニックではない。情報を正規化し型を理解することだ。
  • 必要な知識は無線LANのつなぎ方やルーターの設定方法ではない。OSI参照モデルやネットワークトポロジの知識だ。
  • 必要な知識はプログラムが読み書きできることではない。計算機に処理させるということはどういうことなのかということを理解することだ。

*1:最近はVBAばかりだけど…

*2:それもwordやexcel、powerpointのような!!

注意:ここに書かれていることは筆者の個人的見解であり所属する組織などの意志を表すものではありません。