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面白ければいいんじゃない?

やくたいのないこと、痛々しいことばかり書きます。

軍事の教育コストは高くなる傾向にある

社会 軍事

というわけで、下記のエントリについて。
徴兵制って別に軍事的合理性がないわけじゃないと思いますが。 - 誰かの妄想・はてな版


まず、第一にid:scopedog氏の指摘の通り、選抜徴兵であれば経済的な問題の多くが解決するであろうことは当然だと思われます。
ただ、教育コストについては誤解があると私は考えます。つまり、兵士の仕事は数年の訓練で可能になるかという問題です。


これは、一言で言えば「できる」けど「できない」と言えます。単純に言えば、状況によって大きく変わるということです。


例えば、小銃を持って塹壕を掘り射撃ができる兵士を養成することは、数か月で可能です。これは第一次あるいは第二次世界大戦の時に動員された兵士と同様です。しかし、現代では対戦車ミサイルを操作し、レーザー照射器で誘導爆弾を誘導し、航空機を見かければ対空ミサイルを発射し、無線を最小限の会話で最大限の効果を発揮するように使用し、数十キロの山道を数十キロの荷物を背負って移動し、機関銃の銃身を交換し、室内ではカッティングパイを駆使してクリアリングを行い、必要ならロープ一本でラペリングを行い、ゴムボートで弾に当たらないように海岸に寄せ、上官に適宜適切な報告をしながら命令を受ける必要があります。しかも、それを戦闘状況で行わなければなりません。
これは、人件費の高い先進国では一種やむを得ないことです。昔は同じ金額で兵士3名を雇うことができたとすれば、3人に仕事を割り振ることができたわけです。しかし、今は一人の兵士が昔の何人分もの仕事をするようにしなければなりません。また、都市化、スプロール化した日本において複雑で兵や部隊の連接が難しくなる市街地戦をまったく放棄することも難しいでしょう。これはまさに、氏の指摘された「防衛計画」の問題です。安い賃金で多数の人間を雇うことができない以上、一人の人間にマルチな役割や高度な技能を求めるようになる、というのは当然の事態です。これは、冷戦以降急激に西側先進国で進んだ傾向で、要するに「戦場に多数の一般兵士を投入することができなくなったので、人数を減らして特殊部隊に近づける(で、そういうのに適した防衛計画を作成する)」という、極めて安直な話です。


ただ、同時に「戦場に多数の一般兵士を投入することができなくなった」という前提が破壊されれば、徴兵制は現実性を帯びるでしょう。あるいは、選抜徴兵で長期間兵士を拘束するという選択肢も可能ですが、これは別にあえてその方法をとらなくても(つまりふつうのリクルートで)大丈夫ですから、あまり考える必要はないと思われます。
どうやっても個々の兵士に高度な訓練を施し、高度な多数の任務を付与するという状況よりも、それなりの兵士を多数集めて動かした方が、戦術的な柔軟性も、損耗に対する抗堪性も高いと言えます。ですから、本筋から言えば「戦場に多数の一般兵士を投入する」方が「数は少なくても特殊部隊化する」より軍事的には正しいと言えます。
よって、徴兵制は「軍事的な合理性が無い」というよりは「社会的に戦場に多数の一般兵士を投入する」という選択肢が取れないからやっていない、と言うのが妥当だと考えられます。

注意:ここに書かれていることは筆者の個人的見解であり所属する組織などの意志を表すものではありません。